「雪国を襲った大地震  新潟県中越地震に学ぶ」 〜恒文社出版〜

「雪国を襲った大地震  新潟県中越地震に学ぶ」は、地震の基本図書として恒文社から出版されました。
第一部では「検証新潟県中越地震」、第二部「進化する自然災害」、第三部「地震の基礎知識」の三部構成と
なっております。第二部、第三部は大学教授、気象庁職員、工学博士など専門家の方々が中心となり執筆
されておりますが、第一部で当プロジェクトの宮崎プロジェクト長が『災害ボランティアセンターと「立ちあがれ!

中越」プロジェクト』を執筆しておりますので、ホームページにてご紹介させていただきます。

災害ボランティアセンターと「立ちあがれ!中越」プロジェクト

                              「立ちあがれ中!越プロジェクト」プロジェクト長 宮崎悦男

  1.震災当日

 10月23日17時56分、新潟県中越地区を襲った未曾有の大震災が、私たちのまちを一瞬にして破壊

した。山は崩れ、道路は陥没し、ライフラインもすべて寸断。暗闇の中、次々と襲う大きな余震は、人々を

恐怖と混乱に陥れていった。

 震災直後、私は長岡市大手通りのレストランで青年会議所の会合中。次々と起こる激しい余震に人々

は逃げ惑い、長岡駅前周辺は大勢の人で溢れかえっていた。そんな中、「震源地は小千谷だ!」との

第一報。家族は!仲間は!血の気がスーッとひいていくのが分かった。

  小千谷に向かう手段を探していると、十日町行きのバスがあり飛び乗った。榎峠が崩れており、越の

大橋経由で行ける所まで進む。その後、徒歩と車で自宅にたどり着いたのは9時半過ぎだった。家の前に

は父親が無事避難しており、母親は上京中、妻子三人は長岡の親戚宅にいた。自宅の破損は著しく、

住める状態にないことを確認、周囲にケガ人はいないか、近所で声を掛け合い、情報を集めていった。

  2.ボランティアセンター立ち上げまで

    夜が明けると、周囲家屋の倒壊、崖崩れが多く、愕然とした。マンホールは胸まで持ち上がり、道路は

割れ、私の住んでいる吉谷地区は破壊的なダメージを受けていた。十年前に創業した会社も同様、甚大

な被害を受けていた。

    県の青年会議所ブロックから小千谷の状況を知りたいと連絡が入り、災害対策本部の市役所へ急いで

向かったところ、本部では生々しい情報が錯綜し混乱を極めていた。市内の被害状況が次々と張り出され

て行く中、行方不明者や尊い命を落とした方々の情報が入るたびに、胸が締め付けられる思いだったが、

緊急時、冷静に判断することが大切と自分に言い聞かせ、状況把握に努めた。

    そんな中、「被災者を救うにはボランティアセンターは必要だ!センターを立ち上げてもらえないか」と

依頼の声。聞けばマニュアルにより本部長は社会福祉協議会長、副本部長を市内の団体役員から、

となっているとのこと。家族や社員の安否確認もままならなず、自宅や会社が破壊的なダメージを受けて

いる中、家族をとるのか、会社、社員をとるのか、被災者救援をとるのか、厳しい決断をしなければならな

かった。しかし、このような緊急時、小千谷市民全員が被災者、誰かがこれをやらなければならないと感じ

たとき、災害ボランティアセンター立ち上げを決意、早急に準備に取りかかった。

     家に戻り、その旨を伝え、壊れた家からキャンプ道具一式を引っぱり出し、家族が寝泊りできるように

設営、長岡にいる兄に家族が一週間以上生活できる食料、燃料などを用意してもらい、厳しい戦いが

始まった。

     電気、ガス、水道、すべてのライフラインがストップし、携帯電話もほとんど繋がらない中、バイクで走り

回り、市内の現状把握に努めた。緊急を要する現場では、自ら物資を運び込むこともした。中には生後

一週間、退院直後の乳児を抱えた母親もいた。食べ物をほとんど手にできない避難者も目の当たりにして

すべてが緊急を要していること、そして自分に課せられた責任の重さを痛感した。

     まずは、食料の他に明かりが必要だ。近隣青年会議所の協力も得て、25日には大型投光機20基を

設置、炊き出しもスタートした。

      同日夕方、小千谷青年会議所メンバーも家族や社員をはじめとした沢山の守るべきものを抱えている

中で、できる人から集まり、ボランティア活動が始まった。

  3.ボランティアセンターの運営

     27日、たくさんのコーディネーターや関係者の協力を得て、小千谷市災害ボランティアセンターとして

正式にスタート、次々に人々と物資が集まってきた。できる限り多くの被災者を平等に支援したいという

思いがありながら、現場は刻々と変わっていく。情報が入り乱れている中、判断を下し実行に移す。

7対3、時には5対5で判断に迷うときも、一度に何件も上がってくる案件を先送りにすることは、被災者

に何にもならないどころかマイナスになる。被災者の窮状に全国の支援者の思いをいかに繋いで行くか。

初動の一週間は、ベストの答えを求めるあまり時間をかけることが致命的であり、決断にスピードを

持たせることを心掛け、訴えてまわった。

     今回の大震災は、今までの地震や水害と異なり、何日にもわたって余震が続いた前例のない地震で

もある。全国から駆けつけてくれたボランティアをどの場所に、どのタイミングで送り込むのか、度重なる

大きな余震は私自身の判断も大いに悩ませた。多くの被災者は支援を待っている。ボランティアも温か

い善意を持って大勢駆けつけている。しかし、事故やケガをさせてしまったら・・・。

     避難所ではセンター立ち上げ前から活動していたが、28日午後から赤紙以外の住居関係に派遣を

始めた。それは震度5強の余震があってから25時間後、厳しい決断だった。

      センターも徐々に体制が整い、スタッフ30人〜40人が約10部門に分かれ、多い日には1日1000人

以上のボランティアの受け入れを行った。中心スタッフは、寝る間も惜しみ使命感をもって取り組んでくれ

て、その姿に幾度となく目頭をあつくした。

      活動が本格化して間もなく、新たな難問にぶつかった。小千谷市は2200の事業所のうち1500余りが

小規模事業所であり、個人商店や小さな工場は片付けが進まないのに、慣例でボランティア派遣は対象

外になっていた。「なぜ、困り果てた目の前の人を救えないのか」。困り果てた商店主の窮状を行政、商工

会議所等に訴えて回り、協力をもらいながら、表立ってできなかった小規模事業所へのボランティア活動を

書面をもって正式に実現することができた。災害ボランティアセンターとしての公式な事業所ボランティア

活動は全国で初めてといわれているが、課題もたくさんあるので、検証する必要があると考えている。

     その後間もなく、青年会議所で「立ちあがれ!団結中越」のシール3万枚と、のぼり180本を製作。

気持ちを一つに立ち上がろうをメッセージとして、また、全国から駆けつけてくださった皆さんに感謝の気持

ちを込めて配布を行った。

    センター運営にあたっては、ライフラインの復旧予定、仮設住宅の着工予定等、できる限り今後の

ニーズを予測しながら、いかに被災者がスムーズに自立していけるか、対策を立てて活動していった。

    11月2日、市内の事業所、商店街の生の声を聞きながら回っていると、事業ごみ問題や避難生活の問題

が次々と出てくる。そんな中、「片付けることができるかもしれない。けれど、借金して店を直してもモノが

売れなければ・・・」という切なく苦しい声を何度も耳にした。特に自営業者は、自宅はもちろんのこと、生き

る糧、収入源までもすべて失ってしまうのだ。阪神大震災でも生きる術、仕事を失い自ら命を絶つ被災者

があった。地域から犠牲者を絶対出したくない。商売を救うことはできないものか。復興意欲を持たせる

ことはできないものか。あれこれと考えた。全国から毎日たくさんのボランティアが駆けつけてくれている。

全国には来たくても来れない人がたくさんいる。新しいボランティアのあり方はないか。被災地と全国を

結びつける輪が欲しい!


4.「立ちあがれ!中越」プロジェクトの誕生

    11月下旬より、ボランティアセンターの運営と平行しながら青年会議所メンバーが夜に集まり、激論を

交わしながら復興プロジェクトの骨子を作り上げていった。12月に入り、全国の新聞紙上ではほとんど

地震が記事として取り扱われなくなり、すでに関心が薄れつつある事実を知り、落胆と希望を繰り返しな

がら時には徹夜で企画を練りあげていった。

    そして12月15日、記者会見。ついに「立ちあがれ!中越」プロジェクトは誕生した。がんばろうとする

被災地の人々とその努力を応援する全国の個人、企業、団体をインターネットとシールで結びつける。

ネットのデジタルメディアとシールのアナログメディアを効果的に融合させ、「経済復興支援」「復興意欲

の向上(風化防止)」「義援金」の三つを目的とした、多くの方と目に見える形で同時にできる、今までに

ないプロジェクトがスタートした。

     プロジェクト内容は「ガンバってます!新潟中越」「応援してます!新潟中越」の2種類の復興シールを

作成。被災地事業所は「ガンバってます」シールを、全国各地の応援事業所は「応援してます」シールを

購入、自社の商品等に貼ることで消費者の注目度が上がり、経済効果、社会貢献、風化防止を図る。

被災地および全国の個人、グループは、購入した復興シールを身の回りの物や手紙等に貼って復興と

支援を呼びかける。すべてのシールにホームページアドレスが掲載されており、ホームページ上では

シール販売コーナーの他、被災地の現状報告やシール活用事業所紹介、事業所によってはリンクによる

ネット販売や商品紹介を行っている。また、メールマガジンを配信、活動状況や善意を受けた被災地が

どれだけ復興したかを報告。ゆくゆくは全国との心の結びつきにより、全国各地での物産販売や、復興

ブランドの開発、復旧した名所旧跡、祭り等を巡る観光ツアーなどの可能性も見えてくる。

 このプロジェクトを推進することで、被災地に行かなくてもできるあたらしい形のボランティアが少しずつ

定着してきた。一つは「消費ボランティア」。被災地の物産、商材を購入することで、経済復興を支援して

いただいている。もう一つは「広報ボランティア」。復興シールを活用することで風化の防止、被災地の

復興意欲の向上をはじめ、ホームページを通じて被災地の現状を広めていただいている。この二つの

キーワードを力強い復興につないでいくには、被災事業所は待っているだけでは駄目である。今回の震災

を機に、全国の消費に堪えられる商品開発や、地域の特性を生かした高付加価値の物産、サービスの

提供が大切だ。

シールの価格は「ガンバってます」が1枚あたり1.5円、「応援してます」が2円と設定し、それぞれの

シール代金から1枚に付き1円が義援金に充てられる。単価をできる限り低く設定したのは義援金が

主目的ではなく、経済復興や風化防止を図り、全国とのつながりを大切にしたいと思うからである。

だからこそ集まった義援金は、金額以上の深い意味があると考える。

たとえば100万円の義援金とした場合、100万枚のシールが手にとって貼られ、100万人以上の人が

目に触れた結果だからだ。

 義援金については検討委員会を設置し、小千谷だけでなく中越地区全体での被災者支援活動、復興

支援活動、文化財保護などに充て、活用方法をホームページ上で公開する。シールを目にした人がHP

にアクセスすることで、さらに支援の輪が広がり、継続的な経済復興→義援金によるまちの復興→全国

の支援者との心の結びつきへと発展し、未来へつながるまちづくりとなればと思っている。

 震災直後は意欲をそがれている事業者もたくさんいた。経済復興なくして本当の復興はありえない。

被災した市民もただ支援を待つだけでなく、自分たちの足でも立ち上がり、活動していくことが大切だ。

自ら復興シールを貼ることによって街に活力を与え、経済効果を生み、また生まれた義援金で我が故郷を

復興させていく。そして全国からいただいている暖かい支援のお陰で復興してきていることに感謝し、その

思いを全国へ発信していくことが大切と考える。

 「立ちあがれ!中越」プロジェクトを新しい復興モデルとして確立し、今後起こりうる災害時に有効に活用

できるようにすることも大切な目標としている。復興モデルを創り、本当にお世話になった全国の皆さんに

  恩返しをさせていただくことも私たちの使命と考えている。内容としてはまだまだ未熟なところがあるかと

思うが、皆さんの指導をいただきながら確立していきたい。

  5.おわりに

    ボランティアセンターと復興プロジェクトの運営、どちらも被災者を救うことが最大の目的であることは

間違いない。しかし、それと変わらず、私が大切にしたかったことは、ボランティアへの深い深い感謝の

意をもった運営でもあった。その温かいまなざしにどれだけ私自身が救われたことか。震災直後から今日

に至るまで、挑戦と苦悩と感謝の日々の連続だった。

    私たちは幸いにしてたくさんの全国の皆さんと出会うことができた。温かい心をいただいた。あのとき

感じたありがたさ、地域住民で支えあった絆を私たちは決して忘れてはならない。そのいただいた愛情を

もって郷土を愛し、地域を磨いていけば、必ずや心豊かな未来が待っているであろう。

最後に、今回の震災に関わってくれた皆さんにはもちろんのこと、支えてくれた家族、社員、JCメンバー

に深く感謝申し上げたい。

                                                        (平成17年4月記)